2014年1月25日土曜日

球春を前にして

 
 
大変ご無沙汰しています。って、どれだけ長らくご無沙汰していたのでしょう。
解説という新しい世界に飛び込んで2年目の球春は、もうすぐそこ。
今年もNHK解説者として皆様に、よりわかりやすく、より身近に感じられる野球を
お伝えしてまいります。
去年1年間の激しく深い反省を胸に、一層の努力をしていく所存です。

堅いご挨拶、終了。

 なぜ筆不精の僕が、突然パソコンのキーを叩いているか?
それは昨日、大変インパクトのある出来事があったからです。
楽天の田中投手がヤンキース入り!というインパクト、の余波で、
ヨメが17年ぶりにテレビ出演をしたのです。
普段すっぴんジャージ姿で犬まみれになっている出不精の人が、
目いっぱい化粧してテレビに出ている、という事実に、
夫と息子は揺れに揺れたのです。

よく考えれば、ヨメがテレビに出ていた頃は、普通に当たり前のように
ニュースを見ていた僕。しかし、寛(10歳になりました)にしてみれば、
僕の引退以上の衝撃。その動揺が伝わってきて、
幼稚園児の初めてのお遊戯を見るような、祈りつつの鑑賞となりました。 

田中投手のメジャー入りで、奥様の里田まいさんにも注目が集まっています。
ヨメが3年前に上梓した「メジャーリーガーの女房」という、
タイトルだけはどこまでも上から目線の本に、メジャー選手の奥さんたちの
生活ぶりが描かれており、そのご縁から「まいさんの暮らしはどうなるか?」を語るべく、
ヨメがスタジオ出演となったわけです。

これまで頑なにテレビの世界から遠ざかっていた彼女が、今回の出演を承諾した内幕は
いろいろあるのですが、
「わかりました。出ます」と言ったその瞬間、食事をする手をぴたりと止めて、
本番のその日まで2日間、ヨメは水分以外ほとんど何も口にしませんでした。
「1ミリでもいい。1ミリでもいいから!」細く見せたかったらしいです。
おかげで本番前に貧血気味だったらしいです。
だったら普段からどうにかしろ!と言える夫に会ってみたい。

それはさておき。 

ここ数日、テレビのみならず、あちこちからコメントを求められたヨメの表情は曇りがちです。
「家を守る人」という日本の奥さん像に比べると、アメリカでは「奥さんもチームの一員」として、
活動場所がより広がります。家の中に閉じこもっていては果たせない様々な仕事があり、
その動きが、夫である選手の精神的な安定にもつながっていくところが確かにあります。
しかし今回、「里田さんが、メジャーの奥様達とうまくやっていけるか」という部分に
熱く注目が集まり、逆に今後、そこだけが過度に取り上げられるとしたらどうしよう、と、
ヨメは不安に思っているようでした。
「メジャーだから特別なのではなく、新しい場所の新しい人間関係に
不安を持つのは誰でも一緒。うまくいけば楽になるし、溶け込めないとつらい、というだけの話」

「奥様会」という特別な呼び名がなくとも、選手の妻・彼女の集合体はどのチームにも存在します。
入れ替わりの激しいメジャーでは、よほどのいい契約を持っている選手の家族以外は、
顔ぶれがしょっちゅう変わります。たとえスターの奥さんたちでも、過去にはそんな生活を
してきていますから、「新しい場所や顔をすぐに受け入れる」という特技を持っています。
あまり気負わず等身大でぶつかっていけば大丈夫。
そして、奥さん同士が仲良くしてくれていることは、きっと田中投手にとっても
プラスに作用するでしょう。

僕も、自分が聞き・見逃していた連絡を、ヨメ同士の話をつてに教えてもらったり、
ヨメを通じてほかの選手との交流が深まったことが多々ありました。
とかく見知らぬ場所へ行く直前は、情報で頭でっかちになりがちですが、
真っ白な気持ちで行って、あるがままを受け止めるのが、馴染むには
一番早い方法かもしれません。

生放送を終えて帰宅したヨメの、最初の一言は「ごめんなさい」でした。
「私、ちょっと経験あるからって、あなたに偉そうにアドバイスしちゃって、
でも、いざ自分がしゃべるとなると・・・」
僕は今まで、しゃべりのプロであったヨメに、事あるごとに助言を求めてきました。
彼女はどうやらそれを悔いているようなのです。

「人にあれだけ言っておいて、じゃあ自分はどれだけできるの、って。
喋った内容もどこまで的確かわからないし、
言葉遣いにしても、郷に入(い)っては、を、はいっては、とか言っちゃったし」
「ええやん、久しぶりや。しゃあない」
「うん・・・とにかく、スタッフの皆さん本当にいい方ばっかりで、いい経験させていただいた。
あと、しゃべりの上手な吉井さん(理人・野球解説者)が横にいてくださって心強かった」

現役時代はヨメも顔なじみであり、僕にとっては頼れる先輩の吉井さん。
その横に立っていたおかげで、ヨメが小さく見えるという錯覚をもたらしてくださった
身も心も大きな吉井さん。 

人は、思わぬところで感謝されている。

2013年3月7日木曜日

すっかり筆不精

大変長らくご無沙汰しております。いつも長らくご無沙汰してすみません。
タブレットを持ち歩いている割には、データを見るばかりの資料と化しており、
ホームページもブログも、果ては友人たちからのメールもほったらかしなのです。
「新年会をやろう」とあちこちで約束していたのに、すでに旧暦の正月も過ぎているのです。

これまでの人生で、最速の時の流れ。
その流れにあっぷあっぷと溺れかけながら、やっと家で、コーヒーを傍らに置いて、
皆様にご挨拶できる時がやってきました。

お元気ですか?僕は、へろへろです。

体力でもなく、気力でもない。今まで使った事のない脳の一部が、
連日フル稼働でへろへろなのです。放送業界は、大学卒業以来
野球しかやってこなかった僕にとって、過酷な戦場です。

人にものを伝える、という仕事。今までのように、身体と技術を鍛えて、
パフォーマンスをお見せする「伝え方」とは明らかに違う。
どうやったら、よりわかりやすく伝えることができるんやろう?
そのためには、まず、言葉を駆使しなければならないのです。
小難しい言葉を使って「デキル男」を演出するのではなく、誰もが、一回聞いたら「ああ」と
納得してもらえる言葉を持っていなければなりません。発声、発音、滑舌、なんかも
求められるのです。準備万端、などということは決して起こらず、
勉強しても勉強しても、次の課題はやってきます。いまだに試験の夢でうなされるというのに、
この歳になって、終わらない期末試験の到来です。

しかも、「これでどやねん!」と下調べをしても、練習しても、
生放送の本番では、頭がぱんぱんになってしまって、あわあわのままに終了するのでした。

家に帰ると、もとプロのヨメが、あいまいな笑顔で迎えてくれます。
彼女は何も言わないのです。
「あなたのいいところや味がなくなってしまうのが怖いから」だそうです。
アドバイスを求めれば答えてくれますが、指導はしてくれません。

知識と、言葉と、機転と、あとは度胸?
あらためて、テレビやラジオのお仕事を生業としていらっしゃる方々に、
「今までぼーっと見ながら勝手なこと言っててスミマセン」と、お詫びしたい気分です。

その、くるしーい状況に、さらに試練は待ち受けていたのでした。
英語です。
今年からNHKさんにお世話になることが決まり、先日までメジャーの取材に
派遣していただいたのですが、インタビューは当然英語のみ。
僕は「MLB解説者」という立場で、今回の取材のメインは、日本人選手ではなく、むしろ
日本人以外の選手でした。行く先々で昔馴染みに遭遇しまくって、嬉しく、楽しく、懐かしく、
妙に居心地よく過ごしていたのですが、仕事で使うのはなんせ英語。
カメラの回っていないところで、手足を存分に振り回しながらするプライベートトークとは違います。
公共の電波で使用されるインタビューなのです。

僕の英語は、とりあえず、相手に理解してもらうことができます。
相手の言っていることは、ほぼわかります。
とはいえ、発音は見事なジャパングリッシュで、こればっかりはどうしようもないのです。
ましてそれが放送で使われるなんて。うちの子供が聞いたら、
パパの威厳は地に落ちるでしょう。

けれど。
自分のインタビューだから、自分の言葉で話がしたいのです。
自分の言葉を、ぶつけてみたいのです。
そして、相手の言葉を自分なりに受け止めて、キャッチボールをしてみたいのです。
それがきっと、僕がインタビューする、という意義だ、と覚悟を決めました。

おそらく近々、テレビで妙に訛ったインタビューを耳にされるかもしれません。
笑っていただいてもいいのです。恥ずかしいのは承知の上です。
でもこれが、今の僕が皆さんにお届けできる、すべてです。
聞き苦しかったらすみません。
相手の選手は、ちゃんと英語をしゃべってますのでご安心ください。

あまりに多くの人々に再会したので、ここで名前を挙げ切れません。
あえて出せば、トニー。我が師、トニー・ラルーサにばったり会いました。
今は監督業から退き、動物愛護の仕事のかたわら、
コミッショナー事務局に顔を出しているのです。
首からかけている関係者用のパスも、天下御免の「コミッショナー」バージョンなので、
入れないところはひとつもないくらい威力があります。
「なんだ、お前のパスだったら、入れないところがあるじゃないか!」
優越感に満ちた笑顔で、僕のパスをいじりまわすトニー。
「ん?どう?なんかあったら言ってよ。なんせコミッショナー、だから。偉いんだから」

トニー・・・。どないしたんや・・・。
 
 
 
 
久しぶりに立つアメリカのフィールドは、懐かしいにおいがしました。
ここにおったんやなあ、という感慨。あちこちで声をかけ、迎えてくれる友達がいるという感謝。
たった8年だったけれど、いろいろな意味で僕を育ててくれたアメリカ野球を、
これからは少しでも楽しく、興味深く、見ていただけるよう、皆さんにお伝えしていきます。

そういえば先日、アメリカ野球にちなんだ本も上梓させていただきました。
「野球と余談とベースボール」というタイトルで、マイナビ新書から出ています。
日米の野球比較を、まだ記憶の新しいうちに、と、文化の違いなどを絡めて書いてみました。
興味のある方、ぜひ手にとっていただければ幸いです。

3月10日には神戸・三宮のジュンク堂で、そして、12日には大阪・梅田のジュンク堂で、
それぞれサイン会をさせていただくことも決まりました。
皆様にお会いできるのを楽しみにお待ちしております。

業務連絡みたいな久しぶりのメール。
いつも忍耐強く、このサイトを訪れてくださって本当にありがとうございます。
もうちょっとだけこの仕事に慣れたら、もっとひんぱんに書きますね。
いや、慣れてしまったらアカン。

ああ、ジレンマです。



2012年11月26日月曜日

この2ヶ月

長いこと、本当に長いことブログをほったらかしにして、何をしとったんや、と、
もし一人でもお怒りならば。

それはそれで嬉しい。気にしてくださってありがとうございます。
しかしながら申し訳ない。

新たな世界に飛び込んで早くも2ヶ月。毎日が刺激と疲労の連続で、
家に帰ったらその日の反省をして、勉強をして、ベッドにもぐりこむのがやっと。
そもそも、出張ばかりで、家にもそんなに帰っていません。
「野球のほうがラクやった~」なんて、たわむれで叫んでみる。
もちろん、野球が楽なわけ、ないのです。でも、慣れない事はつらいのです。
そんなこんなで、このブログは放置されていたのでした。

この2ヵ月。
僕は、たくさんのテレビ・ラジオ番組に呼んで頂きました。
野球人として、野球解説をする、ばかりでなく、他のスポーツについても語ってしまったり、
人生を振り返ったり、時勢について語ったり。
こんなにもたくさん、お仕事をいただいてええんやろかと
有頂天になっていたら、ヨメが言うのです。
「今は引退したてだし、もの珍しいし。でも、野球選手は毎年引退するから、
目新しくなくなった瞬間からは、実力勝負よね」
この人は、いつでも現実しか見ていないのです。夢物語を語らないのです。
しかも放送業界にいたくせに、新人の僕に指導しないのです。
「注意されればされるほど、のびのびしゃべるのが怖くなるから」と、放任する気なのです。
ぎりぎり締め付けられたほうがよかった。
「妙にテクニックに走るより、自分らしく素直が一番」だなんて、
要は自分でどうにかしろと。

田口壮、割とピンチです。
どこに行っても、
「奥さんアナウンサーだったから、いい先生がいてよかったですね」と言われるのですが、
先生は放任主義で、酒飲んで鼻歌歌ってます。注意?しません。
誰かどうにかしてください。

この二ヶ月で特筆すべきはふたつ。まずは、MBSラジオでメインパーソナリティーを
させていただいていることです。
「WITH 夜はラジオと決めてます」という番組の、火曜日のパーソナリティー。
夕方6時から10時まで、4時間出ずっぱりのしゃべりっぱなし。
生放送は恐ろしく、緊張の連続です。
「こういうことは言ってはいけない」「言うべきではない」と頭にインプットすると、
インプットしてあるがゆえに言いたくなります。
気の利いた言葉が出てきません。
MBSはチャレンジャーです。
しかし、この番組が、僕にどれだけの勉強と経験をさせてくれていることか。
来年三月までの番組ですが、毎週毎週、どきどきしながら楽しませていただいています。
そして、聴いてくださっている方たちが、その4時間を少しでも楽しんでくださっていることを
心から願ってやみません。

さて、特筆の、二つ目。
生まれて初めて、フルマラソンを走りました。
本当は「11月25日、神戸マラソン走ります!」とブログで宣言したかったのですが、
言わなアカンなーと思っているうちに、昨日終わってしまいました。
ものすごい時間をかけてゴールしました。
身体中がボロッボロになりました。
一度も止まらなかったけれど、走っている間中、「なんでこんなに苦しいことしてんねん俺~」と
激しく後悔していました。

僕がもとアスリートだからと、引退してさほどの時間も経っていないからと、
ちゃらっと簡単に走った、なんて想像してはいけません。
髪を振り乱し、併走のカメラマンに「話しかけんといてくれー!」と当たり、
顔をゆがめ、
「こんなこと望んでするやつはあほやーーー」と思っていた私。
ホンマにホンマにホンマに、苦しいばかりの42.195キロでした。
二度と走らん。というか、走れんわ!!!


ゴール直後にインタビューを受ける。サービス精神など皆無




















一度も、歩かなかった。それだけが、目標やった。
万感あふれる神戸の町を、とにかくたくさんのことを考えながら、
歩くより遅いスピードで「走った」。
つらい。きつい。帰りたい。やめたい。
なんで走るん?なんでこんなことにエントリーするん?

だいたい家に帰るまで、全身動かへんし、アドレナリンが出まくって、
妙に早口やし、ここには書けないような恐ろしいことが、いろいろ身体に起こったし。
かくもかくも、フルマラソンとは、心と身体を蝕むのです。それほど、恐ろしい競技なのです。
けれど人は、ゴールを目指すのです。

だからこそ。
僕は、ゴールしたすべての人を尊敬します。名前も知らない、話をしたこともない、
すべてのランナーたち。
僕をたったかたーっと、笑顔で抜かしていったおばちゃんたち。
途中で歩いて、歩いて、でも、とにかく前へ前へとじわじわ進んでいたおっちゃんたち。
全部全部、尊敬します。泣けてしまいます。なんで?なんでそんなに苦しいことを
わざわざ望むん?僕にはまだその答えがみつかりません。
けれど。
あの距離を、走り終えた、往き終えた、という、心と身体。そのすべてを尊敬します。
こんな気持ちになるなんて、想像してもいませんでした。そして恐ろしいことに、
答えを知りたくて、また、暴挙に及んでしまいそうな自分がいます。

この模様は、12月1日、ABCテレビ、朝日放送で16時半に特集されます。
僕の恥ずかしい姿と、そのほかの皆さんの、全身全霊の生き様を、
どうかしっかりとご覧ください。

レース後のインタビュー。
余裕のない僕は、ただゴールした、ということだけに興奮し、
己の結果のみに囚われていました。
でも今、一日経ってから思うのです。
野球選手として21年間。
メジャーに行った。ワールドシリーズ優勝。
たくさんたくさん、ほめていただきました。
僕は僕の世界で、できることのすべてを、一番上を目指しながら
やってきたつもりでした。
けれど、あまりにも知らないゴールは他にもあって、
そこに吸い込まれた人たちへの憧れと尊敬は、
時間が経つごとに、強く鮮やかになっていくのです。

すごい経験をさせていただいています。
世の中は、球場よりもずっと広いのです。

































2012年10月1日月曜日

はい、いちファンです

 
 
久しぶりに、ひーさんと一緒に夕飯。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕らは、同期でプロに入りました。

リーグは違っても、同い年同士で、誕生日も一日違いの同級生。
厳しく華やかな舞台で、たくさんの名場面を作り上げてきた彼と、
引退した僕。立場が変わった今は、取材される側と、する側。解説される側と、する側です。
会えばいつもと変わらない。けれど、球場では、もはや遠い人です。

先日、初めてその距離感で仕事をした時、
僕はバッターボックスに立った彼の姿に気持ちが高ぶって、
高ぶりすぎて、ついに解説者として、まともにコメントすることができず終わりました。

 「きっと複雑な気持ちでしょうねえ」
それが、僕が言ったすべて。

本当は、もっともっともっと、放送時間なんか無視してしゃべり倒したいくらい、
桧山選手に関して言いたいことが山ほどあります。
彼の選手としての、人間としての大きさと凄さを、
放送席から引きずり出されるまで伝え倒したいものです。
でも、感情がうわーっと高ぶって、
胸がいっぱいになって、
大歓声の中でプレーする彼がうらやましくて、
そして、誇らしくて、
結果、言えたのは、それだけ。

同い年の僕が引退し、目標であり支えだった金本選手が引退を決め、
なんだか自動的に、自分もその流れに乗らなくちゃいけないような気持ちになる、
させられる、そんな年齢です。
ちらりとでも彼の頭の中に、そんな考えが浮かんでるんちゃうか、そう思っただけで、
もう、いても立ってもいられません。

アカンアカン、その流れに乗ったらアカン。
やめるのなんて、いつでもできんねん。
はい、今日やめます!って、言えば終わりやねん。
だから、まだまだ言わんといてな。
今や僕にとって、ひーさんは最後の砦です。希望の星です。
自分が果たせなかったことや、やり残した夢を、彼に託しているのです。

知識も経験もある、まだまだやれるベテランが、若返り、の名の下に
来し方行く末を考えさせられるのは、もしかしたら他の仕事だって同じかもしれません。
けれど、それだけの時間をかけて培ってきたものは、組織にとっての財産のはずです。

ニコニコと僕の言い分に耳を傾ける彼には、
勝負をしている男としての気力と気迫がみなぎっています。
それで、ああ、まだバンバン行けるで、と安心させてくれるのが嬉しい。
等身大で、地に足のついた男。
僕の大好きな野球選手です。

昔、同じマンションに住んでいた頃は、ヨメさん同士がテレビを二台並べて、
それぞれの試合経過を見ながら4人分の食事を作って待っていたこともありました。
これからは僕がテレビの前にかじりついて、彼の姿を追い続けます。

ご飯は作りません。


2012年9月23日日曜日

修行、始まりました

 
初体験の連続。

昨日は、野球中継の解説者として初めて、グラウンドに行きました。
野球の聖地、甲子園。その土の上を革靴で踏みしめるという違和感と緊張。
「やっぱりこの土の上は、選手だけのものなんや」ということを、
再認識した出来事でした。

選手としては、何度も立たせてもらった場所なのに、
立場が変わると、目線も変わります。
球団、選手、関係者、マスコミ。挨拶しなければいけない人が山ほどいるというのに、
とてもじゃないけど、回りきれませんでした。
きょろきょろしていたから、たぶん僕の目は、普段の1.5倍くらい見開かれていたと思います。
それでもなおかつ、伺い切れなかった方、
「俺に挨拶はないんかい」というお叱り、甘んじて受けます。スミマセン。

そんな時、頼りになるのはやっぱり同級生です。
同級生で、大学時代からの友人・阪神の片岡コーチが、ベンチ前で佇む僕を見つけて、
「おいでおいで」としてくれなかったら、僕はどこに行っていいやら、
さっぱりわからなかったことでしょう。何しろ、立ち位置がわからない。
どこを歩いていいやら、いけないやら。
ユニフォームを着ているだけで許された「自由通行」の贅沢を、
つくづく感じた次第です。

野球選手だったから、野球を全部知っているつもりになるのは危険、と、
我が家の鬼コーチは言います。上から目線で自分の知識を切り売りするのではなく、
マメに現場に足を運んで情報を集め、どんなに年下の選手にでも頭を下げて教えを乞える
解説者でいてほしいと。

僕はその言葉を肝に銘じてやっていくつもりです。
じゃないとたぶんご飯を作ってもらえません。

それにしても緊張しました。
人生初インタビューの相手が、金本さんですよ。
まわりは気軽に「同期やろ」と言いますが、年も上やし、
何より、あれだけの選手です。僕からしたら、憧れ見上げる存在の人。
その人間性の大きさそのままに、僕の拙いインタビューを、
誠実に、そしてユーモアたっぷりに受けてくださいました。
サインもらったろかと思いましたよ。よう言わんかったけど。

インタビューって、難しい。
番組を製作する側が聞き出したいこと、
視聴者が聞きたいこと、知りたいこと、
そして、選手本人が言いたいこと、言いたくないこと。
たくさんの思惑が絡み合う中、どんなふうにリラックスした
雰囲気を作って、適切な言葉で相手の本音を引き出すか。

引退したら、いろんなことから開放されてちょっとは気楽になるなんて、
一体誰が言ったんでしょう。
気楽どころか勉強することが多すぎて、僕は毎日家の机に資料を広げ、
うーうー、うなっています。

昨日の放送では「押しも押されもせぬ」を「押しも押されぬ」と
言ってしまったわたくし。資料の「間違えやすい例」を読めば読むほど
間違えているほうを覚えてしまいそう。









2012年9月12日水曜日

ここから

 
秋の気配ですね。皆様お元気でお過ごしでしょうか?
我が家では、夏の間に家族になったカブトムシ三匹のうち、
メスの「かぶちゃん」が天に還り、そのあと、たくさんの幼虫たちが、
土の中で待機しているのが見つかりました。
サークル・オブ・ライフ。でも、動かなくなったカブトムシに、
自分を重ねてしまったわけではありません。


僕はおととい、引退記者会見を行いました。
もういちどユニフォームを着てグラウンドに立ちたいと願っていましたが、
力が及びませんでした。
復活を信じ、応援してくださった皆さんには本当に申し訳ない限りです。
この九ヶ月の間、皆さんにいただいた励ましは、選手としての僕ではなく、
新しい世界に踏み出す僕の、大いなる力とさせていただきます。
選手としての20年と、浪人の1年弱。皆さんのおかげでこんなにも長く、
野球を続けさせていただくことができました。


本当に、ありがとうございました。

 
ホンマは、めっちゃ悔しい。そして寂しい。
かっこいい引き際なんて、誰が決めるんでしょうね。
かっこ悪くてもええやん。泣き喚いて、ぼろぼろになって、鼻水垂らしても、
しがみついたらええやん。


しかし、しがみつくところが、なかった。ザンネン!


それにしても、引退。この二文字は、考えていた以上に重く険しいものです。
現実味なく口にしていた時にはなかった、切迫感。緊迫感。動悸、息切れ、みたいな感覚。
会見に向かう五分前に、「泣くぞ」とまわりからからかわれたときも、
「俺、もうすっきりしてるもん。泣かへんって!」と言ってたくせに、
冒頭でいきなりアレですよ。

隣では、ホリプロの堀社長がつられて号泣しそうになっていらしたのですが、
もし堀社長がこらえ切れなかったら、翌日の新聞の見出しは、
スポーツ面の「田口引退」ではなく、芸能面で「堀社長号泣」だったことでしょう。
そんな思い出に残る会見を用意してくださったホリプロにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

 
さあ、これからが大切。
解説をすることが決まった時、ヨメがにっこりと言いました。
「もと野球選手だから、野球のことは何でも知ってる、なんて言って、
取材もせずに解説しないでね」


厳しい、厳しい人生の再スタートです。


2012年7月31日火曜日

2012年7月31日

 
 
取り急ぎの、お知らせです。

本日、2012年7月31日は、残念ながら野球人生の区切りの日となってしまいました。

近日中に、またゆっくりメールしますね。

応援してくださった方。復活を信じて待っていてくださった方。

期待に応えることができず、本当にすみませんでした。

今はこれを書くのが精一杯です。ごめんなさい。