2012年4月26日木曜日

人に決められたくはない

 
 
皆さんいかがお過ごしですか?
僕は最近ようやくバッティングを再開。
今日は、岐阜県・養老にあるミズノのバット工場に行ってきました。
 
プロ野球の屋台骨のみなさん。足を向けて寝られません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
飛ばない、といわれる統一球に対抗するためか、
最近の日本人選手のバットは、重くなる傾向にあるそうです。
バットの重さで、飛ばない球に負けないようにする、ということでしょう。
 
なのに僕が作ったのは、今までよりも軽くて短いバット。
スイングのスピードでヘッドを効かせて、飛ばない球に対抗します。
図らずも、時代を逆行してしまったからには、
必ず結果を皆様にお知らせするために、打席に立たなくてはなりません。
 
昔はすべて手で削っていたプロのバットも、今ではコンピューターのおかげで
ある程度のところまで、機械削りによって形作れるようになりました。
材料選びで良し悪しの8割は決まる、と言われるバットですが、
最後の仕上げはやっぱり、熟練の人間の手によるカンナがけです。
これが、ちょっとでも間違えたらえらいことに。
カンナどころか、表面を仕上げるサンドペーパーでさえ、
ほんのわずかに「行き過ぎた」だけで、打つほうの感覚は、大きく違ってきます。
 
ミズノの誇るバット職人の名和さん。
ちなみに削られている最中のバットは高速で回転しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに、同じように出来上がってきたバットでも、
ぱっと持った瞬間に「これや!」と思う一目惚れタイプ。
打っているうちによくなるのでは、という、育成タイプなどがあり、
つくづく、道具は生きている、という気持ちにさせられるのです。
 
あー、早く使いたい。
 
 
ところで、先日から連載していただいた、糸井重里さんの
「ほぼ日」インタビュー(http://www.1101.com/taguchi_2012/index.html)が
終了して、昨日、編集部の方が大量の感想メールを送ってくださいました。
すべて、拝読しました。そしてヨメが泣きました。
ハナミズも垂れていました。
 
嬉しかった。誰かに気にかけてもらえるというのは、なんと嬉しいことなんでしょう。
 
プロ野球シーズンが始まり、ナイトゲームの時間に家でメシ食ってる、という自分。
週末の昼に庭掃除をしている自分。
過去20年、そんな経験がありません。
 
ぱっとつけたテレビが野球中継だったら、ヨメが電光石火でチャンネルを変える。
「あー!試合見るー!」と寛がわざわざ野球に戻す。
それに対して、
「パパは今、野球見たくないかもしれないでしょ!野球できないんだから」
と、ヨメがまたチャンネルを変える。
「やだ!野球見たい!」と8歳児言い返す。
「パパは野球したくてもできないの。きっと見るのもしんどいの。だからやめようよ?」
「ええー?じゃあパパはいつからできるの?できるようになったら野球見てもいい?」
「いつって?パパには言えないけど、できるかどうかもわからないんだよ・・・」
 
大声でひそひそ話をするなー!
 
ああ、そのとおりです。
「新しいバットのご報告」どころか、選手に戻れる保証なんかどこにもなくて、
野球中継を見ると、うらやましかったり切なかったりで、
複雑な思いにとらわれてしまうのは本音。野球の世界、僕にとっては「世間」から
取り残されたような気持ちになっているのが現状です。
だから、たくさんのメッセージ、本当に嬉しかったのです。
僕よりも、ヨメに対するメッセージが多かったのは、悔しいのです。
本当に、ありがとうございました。
 
なになに、「田口さんが私の夫じゃなくてよかった」?
・・・なんでやねん・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それにしても、「田口は妙齢の女性からの支援がほとんどない」という事実が
「ほぼ日」上で公表されてから、いただくメールに
「妙齢じゃなくてスミマセン」とか
「妙齢ですが男です」
といった注釈が入るようになりました。
 
妙齢。辞書を調べても、「若いこと。特に女性の若い年頃。うら若い」
となっております。「うら」って、何?
なので、どこにも「18歳から24歳」など、かっちりした決まりはないのです。
それが妙齢。で、ふと思い出したことがありました。
 
フロリダキャンプの時、一緒に来ていたうちの母親を、
ヨメがネイルサロンに連れて行ったのです。
海辺のリゾート地で、普段はいている「つっかけ」ではなく
「サンダル」やら「ミュール」やらをはいて、
うちのかーちゃんはちょっぴりアメリカン気分。
そこに、
「お母さん、せっかくだからペディキュアしよう!」
とヨメが提案したのです。
 
ペディキュア。手の爪ではなくて、足の爪に色をつけるアレですね。
そんな経験など生涯一度もないかーちゃんは、ドナドナの子牛のように
なっていたのでした。
 
「おかーさんは、そんなんせえへんやろー!」
僕は「うちのかーちゃん」と「ペディキュア」が結びつかず、却下を要請。
一緒にいた父親も「お母さんはなあ・・・」と苦笑い。
きっとアニキがそこにいても、鼻で笑ったに違いありません。
 
父、兄、そして僕。
3人の野球人のユニフォームを洗い続けた母の半生に、
おしゃれ、とか、エステ、とかいう言葉はありませんでした。
「お母さん」は、いつもすっぴんで元気でうまいメシ作ってくれて、
弁当作ってくれて、ユニフォームを真っ白にしてくれる人であり、
「女性」と思ったことがなかったのです。
 
ところがヨメが一言。
「お母さんを、女性、じゃなくて、おかーちゃん、にしちゃってるのは、
田口家の男3人だもん。いってきまーす」
そして帰ってきたかーちゃんの足の爪は、真っ赤っ赤で、
「えんちゃん(ヨメ)が選んでくれたんだよ~!」と、うれしそうに、照れくさそうに、
何度も何度もその足の爪を見て、さらにはアップで写真まで撮ったのです。
 
かーちゃんを、女性以外の生物にしていたのは、僕ら男の勝手な思い込みでした。
普段質素だから、おしゃれに興味もないはずや、と決めてかかっていたのです。
女性は何歳でも女性なんやなーと、その時思いました。
そして、「女性」でいるときの表情はとても生き生きしていて、
自分の思い込みを反省したのです。
人は誰でも年を取るけれど、実際年齢と、自分の気持ち年齢が
違っていたっていいし、それが人生の張りになるのであれば、ええことやん。
ついでに、歳で判断せずに、動けるんやったら、雇ってくれんかなあ。
 
妙齢を語ってて、なんでばーさんの爪なのか。
つまり妙齢は、まわりが決めることじゃない、と言いたいのです。
自分が妙齢だと思えば、はい、あなたは妙齢。
性別問わずに、幅広い妙齢のみなさんの、お便りお待ちしております。
 
ちなみにうちのヨメは今年47歳。「年をとるのが楽しい」そうで、
「妙齢なんて青い。腐りかけ、っておいしいのよ~」と言います。
 
 
いーや、あんたの場合はもう腐ってるから。